子供が熱を出した時、玉子を買ひに行つたきだみのるに、オコン姐はただで笊一杯の玉子を渡してかう言つた。困つたときはお互ひさまだものなあ。
それから数箇月後、おかずが無くてオムレツでも作るから玉子を賣つて呉れと言つたきだに、オコン姐は最高の闇値を要求した。
これで卵買ひに行つたとき、オコン姐が用途に關し質問した理由が解つた。ぼくの部落では卵に二つの値段があるからだ。だがどうして卵に二つの値段があるのか。食ふのが病氣の四つの子供である時と、榮養保持のため健康な大人が食ふときと、オコン姐の卵が自家生産であつても卵自體は商品であるので一つの値段しか持てない筈だ。
卵に二つの値段のある原因は卵とは別なところにある。それは同じ卵ながら、前の卵と後の卵とは違つた世界に結ばれてゐるからだ。
前者をきだは、直接に部落の傳統或は集團起源の反射行動に從つ
た行動だと言つてゐる。後者は個人的な損得思考
であり、そこに集團性反射
は介在しない。言換へれば、日本人の良心とは自分の中の人目
である。
オコン姐は、なあ、おれら部落の者の心にはお互ひに他人である二つの流れがあらあ。一つは損得を考へねえ流れと、も一つは自分の損得だけしか考へねえ自分慾一點張りの流れと。
と言つたさうである。
先日、どこだかの市議が部落の中で村八分に遭つて慰謝料を請求した事件の裁判があり、市議が勝訴したとの報道があつた。戰後50年經つて、日本人は民主的に進歩したかと言へば、さうでもないのである。「時代は變つた」等と、單純には言へないのである。